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まだ見ぬ わたしに きがえよう / Vol.03 バレエダンサー飯島望未さん

2022.04.15

「なんとかなる」の気持ちって大事。
試行錯誤や失敗が、人を強くするのだから。

まだ見ぬわたしにきがえようーー。あたらしいことにチャレンジしつづけることで、自分の中の様々な可能性を引き出し、あらゆる方面で活躍する人がいる。この連載では、そんな挑戦をつづけ、輝きつづける人たちにフォーカス。第三回は、バレエダンサーとして、第一線で活躍されている飯島望未さん(K-BALLET COMPANY)が登場。ファッションの世界でも話題が絶えない飯島さんですが、若くしてアメリカに渡った経験や、スイスでの葛藤の日々、そしてファッションの仕事の裏に隠された想いなど、キャリアを振り返りながら、チャレンジをつづけるモチベーションの源泉に迫ります。

左:バレエダンサーとして舞台上で活躍する飯島さん 右:モデルとして撮影中の飯島さん

ひとりのディレクターとの出会いで世界が変わった、
とことんバレエと向き合った海外での日々。

ーーまずは、バレエをはじめたきっかけからお聞きしたいと思います。

6歳の頃からバレエをやっていますが、きっかけは体験レッスンでした。姿勢が悪いからと矯正のために、母に連れられて参加したのですが、初日から夢中になりましたね。というのも、うまくできない自分が悔しくて。周りの子達よりも絶対にうまくなってやろうと参加した初日から思っていました。


ーーそれからは数々のコンクールで入賞し、アメリカで活動することになりますね。

はい。アメリカで踊りたいと思うようになったのは13歳の時に入賞したニューヨークでのコンクールが大きいです。本格的にアメリカに留学して活動するようになるのは15歳の頃。英語はまったく話せない状況でしたが、それをネガティブに考える事はありませんでした。なぜならバレエが共通言語だったからです。英語は二の次ではないですが、日々の生活の中で少しずつ習得していきました。


ーー以後の活躍は目覚ましいですね。2019年3月にはヒューストン・バレエ団でプリンシパルまで上り詰めます。名のあるバレエ団に所属してプリンシパルを務めるというのは本当に限られた人しか体験できないことだと思います。

わたしの場合は本当に運がよくて、割と早い段階から大きな役をいただくことができました。それはヒューストン・バレエ団のディレクターとの出会いが大きかったです。彼がわたしをすごくプッシュしてくれて才能を伸ばしてくれました。入団当初、態度が堂々としていたという意味だと思うのですが「君はなかなかタフだね」と言われた事は今でも覚えています(笑)。


ーー単身でアメリカに渡って、不安や葛藤などはなかったのですか。

それはもう何度も何度も悩みました。このまま成長しないのではないかとか、うまく表現できないことに対する苛立ちや葛藤などももちろんありました。でも、最後はやっぱり踊りたいという気持ちが勝ちます。踊りたいという強い気持ちがあったからこそ、日々折れずにレッスンをつづけることができました。


ーー一度ヒューストンからスイスに渡り、スイスではコンテンポラリーダンスを踊っていましたね。

当時は何か変化が必要だと感じていた時期でした。どこか行き先が決まっていたわけではなく、とにかく一度考える時間が必要だと思って、後先考えずにヒューストンから離れることにしました。それで日本に帰って1年間くらいどこにも所属せずに生活を送ったんです。その時は常に「なんとかなる、なんとかなる」と自分に言い聞かせていました。わたしにとってこれは非常に重要なプロセスです。「なんとかなる」と常に自分に言い聞かせていると、人間ってなんとかしようとするものなのだと思います。その結果、スイスのカンパニーに入ることになり、あらたな環境との出会いや葛藤など、良いことも思うようにいかなかったことも含めて様々な経験を得ることができました。結果としてはスイスでの決して楽ではなかった日々も、とても貴重な経験になっていますし、その経験があったからこそ今があると思っています。


ーー公演が決まると1日中スタジオでレッスンに励むことになると思うのですが、オンとオフはどのように切り替えていますか。

家に帰ったらバレエの事は一切考えません。本を読んだり、映画を見たり。そうやってインプットする時間も非常に重要だと思っています。ひとりでいる時にバレエのことを考えてしまうと、あれこれと考え込んでしまう。「大好きなバレエなのに、なんでこんなに考え込んでしまうんだろう」と思う時期もありました。だから、スタジオを出たら、バレエの事は考えないと決めています。オンとオフ、きちんとメリハリをつけることで、結果一番好きなバレエに打ち込むことができる。オンとオフをきっちりと分けることで仕事へのモチベーションを保っています。

ヒューストン・バレエ団時代の飯島さん

バレエとファッション。
様々な仕事を経て、芽生えた責任感。

ーー現在はファッション関係の仕事もやられていて、雑誌などで見かけることも多いです。ファッションの仕事は元々興味があったのですか。

Instagramを始めた当初はバレエのアカウントとプライベートのアカウントを分けていて、プライベートでは出かけた日のコーディネートなどをあげていました。それがファッション雑誌の編集者の目に止まったようで、雑誌の取材やファッションシューティング等を少しずつさせていただくようになりました。


ーークラシックバレエは長い歴史と伝統があり、ある意味では保守的なハイカルチャーの1つだと思います。ファッション誌は華やかに見える一方で、流行を追う商業的な側面もあります。周囲から批判などはなかったのですか。

実はそういった声もいくつかありました。ですが昔からバレエとファッションは切っても切れない関係なのです。ファッションモデルという職業ができる前までは、ヴォーグなどでも被写体となっていたのは実はバレエダンサーだったり。ココ・シャネルがオペラ座の衣装を手がけたこともありました。わたし個人はそういう解釈を持っていたので、ファッションの仕事も自信を持って臨むことができました。もっと言うとクラシックバレエに興味を持つ方が1人でも増えたらと思って活動しています。視野を広げるという意味でもファッションの仕事はこれからもつづけていきたいなと思っています。


ーー最後に、あたらしいことにチャレンジしようとしている読者にメッセージをお願いします。

これまで、悩んだり、迷ったり、試行錯誤して進んできたのですが、結果としてはすべて必要な経験でした。スイスに行ったのも、自分がどこまでできるのか、あたらしい可能性を探りたかったからですし。「なんとかなる」と思って、前に進みつづけていけば、いつか絶対「なんとかなる」日が来るはず。試行錯誤して、失敗して。乗り越えて、また現状を受け入れて。その先には過去よりも少しだけ強くなった“わたし”がいるはずです。まずは次の公演に向けて、この後のレッスンに集中しようと思います。

STUMBLYとコラボレーションしたワンピースを着た飯島さん

わたしを象徴するアイテム

ズバリ、服! なのですが、最近コラボレーションで作ったワンピースはお気に入りです。ニット素材なのですが、繊細な編み地にしたくて、手編みでお願いしますと頼み込んで作ってもらいました。なんとなく今日は気分がさえないなって時は、お気に入りの服を着てテンションを上げたりすることもあって、ファッションの力にはいつも助けてもらっています。
プロフィール
大阪府生まれ。6歳からバレエをはじめ、2008年に当時最年少となる16歳でヒューストン・バレエ団に入団。2019年には同団のプリンシパルに昇格。2021年に帰国し、K-BALLET COMPANYにて主演を務め、2022年3月からプリンシパルに。また、2019年からはシャネルビューティアンバサダーも務めている。2022年6月K-BALLET COMPANY『カルメン』に出演予定(渋谷・Bunkamuraオーチャードホール)。

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