ART
LUMINE meets ART PROJECT
《Draw the City –A Produced Image #1》 2020 Paint on Iron 一枚のサイズ600×600×1 撮影:今村裕司(むら写真事務所)
自作のアナログマシンと“不毛な労働”で描く街の姿
2021.05.31
館内でのアート展示やさまざまなアートイベントを通しアートのある毎日をお届けする「LUMINE meets ART PROJECT」。その一環として毎年開催されているLUMINE meets ART AWARD(以下、LMAA)は、才能あふれるアーティストたちが活躍する未来を目指し、館内に展示するアート作品を広く一般から公募するアートアワードです。
第8回目を迎える今年、461点の応募のなかからグランプリに選ばれたのは、菊池和晃さんの〈Draw the City〉。2021年5月31日(月)〜6月13日(日)の館内展示に向けて準備を進める菊池さんに、これまでの活動や受賞作品のコンセプトについて聞きました。
第8回目を迎える今年、461点の応募のなかからグランプリに選ばれたのは、菊池和晃さんの〈Draw the City〉。2021年5月31日(月)〜6月13日(日)の館内展示に向けて準備を進める菊池さんに、これまでの活動や受賞作品のコンセプトについて聞きました。
抵抗が渦巻く、公共の場で展示すること
―これまでの活動について教えてください。
美大生時代からパフォーマンス作品を制作しています。たとえば、滋賀県にある近代まで土葬が残っていた地域のお寺の境内で、自分の髪を切りながら植えて“自己を培養する”ことをテーマとした作品。それから、ジャッキー・チェンの映画『少林寺木人拳』からヒントを得たパフォーマンスも行いました。自動で動くボクシンググローブを両脇に取り付けたキャンバスを向かい合わせに8台立て、僕がその間に立ってグローブをかわしながらキャンバスにアクションペインティングをする作品です。スクワットを100回することで描き上がる絵を、同時に102枚展示したこともありました。
美大生時代からパフォーマンス作品を制作しています。たとえば、滋賀県にある近代まで土葬が残っていた地域のお寺の境内で、自分の髪を切りながら植えて“自己を培養する”ことをテーマとした作品。それから、ジャッキー・チェンの映画『少林寺木人拳』からヒントを得たパフォーマンスも行いました。自動で動くボクシンググローブを両脇に取り付けたキャンバスを向かい合わせに8台立て、僕がその間に立ってグローブをかわしながらキャンバスにアクションペインティングをする作品です。スクワットを100回することで描き上がる絵を、同時に102枚展示したこともありました。
《アクション》2017 サイズ可変 キャンバス、木、ペンキ、ボクシンググローブ、アルミニウム、ビニールシート、モーター
―今回の受賞作品もそうですが、自分の身体を使った作品というところはずっと変わっていないんですね。
そうですね、ずっと続けています。
―LMAAに応募したきっかけはありますか?
僕が展示を行ってきたのはギャラリーや文化施設が多いのですが、そこに来られる方というのは、僕のことを知っていたり、作品を見るために足を運んでくれた人たちだと思うんですね。それに対して、ルミネ館内のショーウィンドウに展示されるLMAAは、みんなが作品を目当てに来館するわけではなく、たまたま通りがかった人が作品を見ることになります。
そういう状況は日本におけるアートの立ち位置とも重なるところがあって、多くの人にとってアートは“あってもなくてもいいもの”なんです。そのなかで僕がアーティストとしてやっていかなければならないのは、見に来てくれる人がいることがわかっている場所ではなく、いろんな“抵抗”が渦巻いているような場所に飛び込んでいくことなのではないかと。さらに、アーティストとしての社会のなかでの立ち位置や、今後の活動の方針を考えるヒントが得られるのではないかと思って応募しました。
―ご自身の、美術や作品への向き合い方を探るという点でも転機になりそうですね。
そうですね。僕は関西を拠点にしているので、東京で展示をすることを今年の目標のひとつにしていました。そういった意味でも重要な機会になると思います。
そうですね、ずっと続けています。
―LMAAに応募したきっかけはありますか?
僕が展示を行ってきたのはギャラリーや文化施設が多いのですが、そこに来られる方というのは、僕のことを知っていたり、作品を見るために足を運んでくれた人たちだと思うんですね。それに対して、ルミネ館内のショーウィンドウに展示されるLMAAは、みんなが作品を目当てに来館するわけではなく、たまたま通りがかった人が作品を見ることになります。
そういう状況は日本におけるアートの立ち位置とも重なるところがあって、多くの人にとってアートは“あってもなくてもいいもの”なんです。そのなかで僕がアーティストとしてやっていかなければならないのは、見に来てくれる人がいることがわかっている場所ではなく、いろんな“抵抗”が渦巻いているような場所に飛び込んでいくことなのではないかと。さらに、アーティストとしての社会のなかでの立ち位置や、今後の活動の方針を考えるヒントが得られるのではないかと思って応募しました。
―ご自身の、美術や作品への向き合い方を探るという点でも転機になりそうですね。
そうですね。僕は関西を拠点にしているので、東京で展示をすることを今年の目標のひとつにしていました。そういった意味でも重要な機会になると思います。
《円を描くⅤ》2020 サイズ可変 アルミニウム、鉄、ステンレス、チェーン 撮影者:表恒匡
マシンを使うことで、アートの面白さと不毛さを表したい
―今回の受賞作品〈Draw the City〉を含め、これまでに多くの作品で自作のアナログなマシンを用いていますよね。マシンを使うことは、ご自身のなかでどんな意味合いを持つのでしょうか。
マシンを使うのにはいくつか理由があります。ひとつは先ほど言ったように、僕たちって常になにかしらの“抵抗”を受けていると思うんですね。天候や重力などの自然現象はもちろん、社会的な立場、病気、友人関係、出生……そういうものに対して、自分もまた抵抗力を働かせていると思うんです。重力に対しての肉体もそうですし、個人的な意見を主張すること、あるいは作品をつくることもそう。そうやって僕たちの「個」は形成されていると考えていて。
一方、美術作品は抵抗力と抵抗力の境界線上にあるものであって、作者の私的な感情や、他者のイメージは不純物だと思うんです。それらを取り払うシステムを作ってみようと思ったことが、マシンを使うようになったきっかけです。
もうひとつは、日本においてアートは無駄なものとされていることです。アーティストがいかにアートの意義を唱えても、興味を持たない人や、アートがなくても生きていける人はたくさんいるし、伝わらない。作品をつくることはすごく不毛な行為でもあるのですが、僕はそこに面白みを感じていて。その面白さや不毛さを、一見バカバカしく見えるマシンを使うことで表せないかと考えたんです。
〈Draw the City〉も、マシンのハンドルを数万回回しても線や円の描画のような微量な成果しか得られないような、言うなれば“無駄な労働”をすることでしか作品を生み出せないようにしています。
マシンを使うのにはいくつか理由があります。ひとつは先ほど言ったように、僕たちって常になにかしらの“抵抗”を受けていると思うんですね。天候や重力などの自然現象はもちろん、社会的な立場、病気、友人関係、出生……そういうものに対して、自分もまた抵抗力を働かせていると思うんです。重力に対しての肉体もそうですし、個人的な意見を主張すること、あるいは作品をつくることもそう。そうやって僕たちの「個」は形成されていると考えていて。
一方、美術作品は抵抗力と抵抗力の境界線上にあるものであって、作者の私的な感情や、他者のイメージは不純物だと思うんです。それらを取り払うシステムを作ってみようと思ったことが、マシンを使うようになったきっかけです。
もうひとつは、日本においてアートは無駄なものとされていることです。アーティストがいかにアートの意義を唱えても、興味を持たない人や、アートがなくても生きていける人はたくさんいるし、伝わらない。作品をつくることはすごく不毛な行為でもあるのですが、僕はそこに面白みを感じていて。その面白さや不毛さを、一見バカバカしく見えるマシンを使うことで表せないかと考えたんです。
〈Draw the City〉も、マシンのハンドルを数万回回しても線や円の描画のような微量な成果しか得られないような、言うなれば“無駄な労働”をすることでしか作品を生み出せないようにしています。
〈Draw the City〉2020 Paint on Iron
歌舞伎町の風景から色を抽出
―〈Draw the City〉のマシンは、具体的にはどういう仕組みなのでしょうか?
ハンドルを回すと小さな歯車が回り、その力が次の大きな歯車に伝わって回ります。それを繰り返すようにいくつも歯車をつなぎ、最終的に、回転の力がスキジーのような刷毛が横にスライドする運動に変換され、キャンバスに色を塗るという仕組みです。ペンキの色味はゲルハルト・リヒターの「カラーチャート・ペインティング」から参照しつつ、今回は歌舞伎町の風景写真から似た色を抽出してつくっています。
―歌舞伎町の色というのは、看板などでしょうか?
そうですね。看板やネオンの色もそうですし、ブルーシートが反射した壁の色からも抽出しています。というのも、作品の構想を思いついたきっかけが、夜の歓楽街で看板やネオンが光っている様子が綺麗だなと感じたことなんです。そして看板の下では、誰かが人々のために働いている。それってすごくリアルなものだし、生々しくもあると思いました。
一方で、その時期にたまたま観ていた海外のアニメか映画のなかで描かれていた日本の風景では、看板がモチーフとしてのみ強調されていて。そういうふうに僕たちが実際に見ている風景も、どこかで他者によって違うイメージに作り変えられているのかなと考えました。あるいは、権力のある人の発言で街のイメージが一変することもありますよね。自分たちが生きる街は、大きな力から見たら資本を生むための生産装置でしかないかもしれない。そんなギャップに疑問を持ったのも、〈Draw the City〉の構想の種でした。
―作者の意思を排除するためにマシンを用いたり、身体を使って偶然性を生かしたりする現在の制作方法にたどり着くまでに、どんな経緯があったのでしょうか。
僕が美大に入ろうと思ったのは、子どもの頃から工作が好きだったし、美術をやってみたいなっていう軽い気持ちからだったんですね。受験のために画塾に通いましたが、2年間でデッサンは10枚くらいしか描かず(笑)、結局AO入試で入学しました。そういうふうにして美大に入っても、やっぱりスキルがないから周りの学生ができることができないんです。どうにかみんなに勝てる手段をと考えたことが、今のような制作手法につながっているのかもしれません。
それから、僕は昔から自分で作ったものを信用できないんです。自分で描いた絵や、自分で作った料理が、なんだか気持ち悪いんですよね。ごく私的な感覚なので説明するのが難しいのですが、それもきっかけのひとつだと思います。マシンだったら作品をつくることに間接的になれる。だから作品に対しての思い入れもまったくないですね。
ハンドルを回すと小さな歯車が回り、その力が次の大きな歯車に伝わって回ります。それを繰り返すようにいくつも歯車をつなぎ、最終的に、回転の力がスキジーのような刷毛が横にスライドする運動に変換され、キャンバスに色を塗るという仕組みです。ペンキの色味はゲルハルト・リヒターの「カラーチャート・ペインティング」から参照しつつ、今回は歌舞伎町の風景写真から似た色を抽出してつくっています。
―歌舞伎町の色というのは、看板などでしょうか?
そうですね。看板やネオンの色もそうですし、ブルーシートが反射した壁の色からも抽出しています。というのも、作品の構想を思いついたきっかけが、夜の歓楽街で看板やネオンが光っている様子が綺麗だなと感じたことなんです。そして看板の下では、誰かが人々のために働いている。それってすごくリアルなものだし、生々しくもあると思いました。
一方で、その時期にたまたま観ていた海外のアニメか映画のなかで描かれていた日本の風景では、看板がモチーフとしてのみ強調されていて。そういうふうに僕たちが実際に見ている風景も、どこかで他者によって違うイメージに作り変えられているのかなと考えました。あるいは、権力のある人の発言で街のイメージが一変することもありますよね。自分たちが生きる街は、大きな力から見たら資本を生むための生産装置でしかないかもしれない。そんなギャップに疑問を持ったのも、〈Draw the City〉の構想の種でした。
―作者の意思を排除するためにマシンを用いたり、身体を使って偶然性を生かしたりする現在の制作方法にたどり着くまでに、どんな経緯があったのでしょうか。
僕が美大に入ろうと思ったのは、子どもの頃から工作が好きだったし、美術をやってみたいなっていう軽い気持ちからだったんですね。受験のために画塾に通いましたが、2年間でデッサンは10枚くらいしか描かず(笑)、結局AO入試で入学しました。そういうふうにして美大に入っても、やっぱりスキルがないから周りの学生ができることができないんです。どうにかみんなに勝てる手段をと考えたことが、今のような制作手法につながっているのかもしれません。
それから、僕は昔から自分で作ったものを信用できないんです。自分で描いた絵や、自分で作った料理が、なんだか気持ち悪いんですよね。ごく私的な感覚なので説明するのが難しいのですが、それもきっかけのひとつだと思います。マシンだったら作品をつくることに間接的になれる。だから作品に対しての思い入れもまったくないですね。
〈Draw the City〉の展示イメージ
通りすがりの人に向けた特別な展示
―5月31日(月)から始まる展示の構想を聞かせてください。
最初は描いた絵だけを展示しようと思っていたのですが、この作品はマシンと、マシンによって描かれた絵と、生産されていく様子という3つの要素が一緒にあるべきだと考え直しました。だから、マシンと絵と映像をショーウィンドウの中に詰め込もうと思っています。
普段展示をするときは要素を削いでいくことが多いので、ぎっしり詰め込むことには不安がありますし、説明的すぎるかなとも思ったのですが、通りすがりの人が見ると考えるとそのほうがいいんじゃないかなと。“見せる”ことに特化したショーウィンドウだからこそ、詰め込むことで単なるディスプレイとは違うものになりますし、僕の活動自体も包括的に見せられると考えました。
―最後に、展示に向けた意気込みをお願いします。
緊急事態宣言が出ている状況で思い通りにいかないことも多いと思いますが、それさえもなにかを形成するひとつの“抵抗”だと捉えています。そこに、なにをどういうふうに投げこもうかなと考えている最中です。なにより、東京で自分の作品を展示できることがすごく楽しみですね。東京には知り合いもほとんどいないので完全にアウェイなのですが、そういう状況にもどんどん挑んでいくことがアーティストとして大切だと考えています。
<プロフィール>
菊池和晃/Kazuaki Kikuchi
1993年、京都府生まれ。2018年、京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻構想設計クラス修了。京都を拠点に美術家として活動。肉体を酷使することで稼働する装置を制作し、またその装置を使い美術史から引用したイメージを生産する。主な展覧会に「ニューミューテーション #3 菊池和晃・黒川岳・柳瀬安里」京都芸術センター(2020)など。
https://www.kazuakikikuchi7238.com/
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LUMINE meets ART AWARD 2020-2021 Exhibition
会期:2021年5月31(月)〜6月13日(日)
場所:ルミネ新宿、ルミネエスト新宿、ニュウマン新宿、ニュウマン横浜の計7つののショーウィンドウ
最初は描いた絵だけを展示しようと思っていたのですが、この作品はマシンと、マシンによって描かれた絵と、生産されていく様子という3つの要素が一緒にあるべきだと考え直しました。だから、マシンと絵と映像をショーウィンドウの中に詰め込もうと思っています。
普段展示をするときは要素を削いでいくことが多いので、ぎっしり詰め込むことには不安がありますし、説明的すぎるかなとも思ったのですが、通りすがりの人が見ると考えるとそのほうがいいんじゃないかなと。“見せる”ことに特化したショーウィンドウだからこそ、詰め込むことで単なるディスプレイとは違うものになりますし、僕の活動自体も包括的に見せられると考えました。
―最後に、展示に向けた意気込みをお願いします。
緊急事態宣言が出ている状況で思い通りにいかないことも多いと思いますが、それさえもなにかを形成するひとつの“抵抗”だと捉えています。そこに、なにをどういうふうに投げこもうかなと考えている最中です。なにより、東京で自分の作品を展示できることがすごく楽しみですね。東京には知り合いもほとんどいないので完全にアウェイなのですが、そういう状況にもどんどん挑んでいくことがアーティストとして大切だと考えています。
<プロフィール>
菊池和晃/Kazuaki Kikuchi
1993年、京都府生まれ。2018年、京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻構想設計クラス修了。京都を拠点に美術家として活動。肉体を酷使することで稼働する装置を制作し、またその装置を使い美術史から引用したイメージを生産する。主な展覧会に「ニューミューテーション #3 菊池和晃・黒川岳・柳瀬安里」京都芸術センター(2020)など。
https://www.kazuakikikuchi7238.com/
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LUMINE meets ART AWARD 2020-2021 Exhibition
会期:2021年5月31(月)〜6月13日(日)
場所:ルミネ新宿、ルミネエスト新宿、ニュウマン新宿、ニュウマン横浜の計7つののショーウィンドウ