野外フェスの楽しみ方
講師:倉橋慶治(コンサートプロモーター)
6月講座の講師は、フジロックの運営を担当しているスマッシュの倉橋慶治さんです。フードやファッションなど、音楽だけではない野外フェスの楽しみ方をお話いただきます。
1997年にはじまったフジロック・フェスティバル。第1回から、ずっと運営に関わってきたひとりが、スマッシュというコンサートプロモート会社に勤める、CLASS ROOM 6月講座のゲスト 倉橋慶治さんです。20年以上、野外フェスに携わってきた感動と、スタッフだから知るフジロックの魅力を話してもらいました。
まだ航空チケットも安くなかったころ、貯金して、イギリスのグラストンベリーやレディング&リーズというフェスティバルを観に行く人たちがいました。フジロックフェスティバルがはじまったのは、スマッシュの社長をしている日高正博が、野外フェスのグラストンベリーからインスピレーションを得たことがきっかけです。
それを日本でも同じようにやりたいと、長いこと場所を探していて、1997年に富士天神山スキー場(現・ふじてん)で初開催。1999年からは苗場スキー場に会場を移して、「生活の一部としてのライブ」を「ライブの一部としての生活」に変えていきました。聴く、食べる、泊まる、というフェスのベースを日本でつくったのは、フジロックなんだと思います。
ごはんを食べるときも、トイレに行くときも、眠るときも、生の音楽が鳴っている。その生の音楽に魅力を感じたから、ぼくらはライブプロモーターをしています。ぼく自身は、洋楽のライブを観ることが好きで。地方から東京に出てきて、よく観に行っていたのがスマッシュのライブでした。
まだ、プロモーターという仕事を知らなかったんですが、ライブに携わりたいと思って、いろんなプロモーターに出向きました。そして、最終的にスマッシュに雇ってもらうことができたんです。1997年でした。結果的には、フジロックの第1回から現場に入ることができたんです。えらいときに生きてきたなと思います。
これまでに印象深かったステージはいくつもありますが、断トツなのは、1997年のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。彼らが、「We are Rage Against the Machine from Los Angeles California」と言った瞬間の、歓声が爆発して会場中で湯気がボフッと上がった光景は一生忘れられないくらい。あとは、『さくら さくら』のストリングスではじまった、1998年のグリーンステージに立ったビョークもすごかった。
ぼくは極力、ライブのファーストインプレッションを大事にしています。音源を聴かないようにしておいて、ライブで「なんじゃ、このバンド!」というのを感じたくて。
2018年からは、YouTubeでライブ配信をはじめています。そして、実際に足を運んでもらえると、フェスの魅力をわかってもらえるかな。1回来たらハマってもらえるという自信はみんな持っていて。これだけたくさんのフェスができて、「じゃあ行かないでどうするの?」というのは、正直な気持ちです。
ただ、ぼく自身は、フェスってうちしかないという自負を持っていて。悪いけどフジロックは世界にも誇る、うちが一番だって思っています。フジロックでは、山と音楽とごはんと寝るところしかない場所に、隔離されます。だけど、ちょっと自由があって。朝、ゲートをくぐる瞬間から、終わったあとに「SEE YOU IN 2XXX」というのを見るまでが異空間。そういう別世界を体験できるのがフェスなんですよ。
川に入って、半日過ごしている人がいれば、ドラゴンドラという大きなロープウェイに乗って、ふた山超えたところで涼みながらDJプレイを聴く人もいたり。近隣の温泉にいて、ヘッドライナーの時間帯だけきて、観終わったらまた旅館に帰る人もいる。もしもステージ上を転換しているときに雨が降ってきたら、みんな合羽を着出すんですが、すると場内は花が咲いたように綺麗な色でいっぱいになります。そんな光景も、みんなで楽しんでいるんですよ。
6月講座の講師は、フジロックの運営を担当しているスマッシュの倉橋慶治さんです。フードやファッションなど、音楽だけではない野外フェスの楽しみ方をお話いただきます。
FUJI ROCK FESTIVALの主催をはじめ海外バンドの招聘を行うSMASH CORPORATIONにて制作業務を担当。RED HOT CHILI PEPPERS, OASIS, BRAHMAN, SiMなどの国内外を問わずさまざまなアーティストのブッキングから帯同まで全てのコンサートにまつわる業務を行う。年間ライブ本数は150本を超える。