自分と向き合う時間が増えた
偏愛についてのエッセイを書いたことがあって、そのとき“偏愛”ってなんだろう?とすごく考えました。でも、よくわからなくって。辞書で意味を調べても、「偏って愛すること」みたいなことしか載っていないし、なにより、私は単純に自分の好きなものをただ好きでいるだけなので、変わったことをしている意識がないんです。
ただ、自分の好きなものに気づいていなかったり、好きなものがあるけど、どこがグッときてるのかまでまだ掘り下げていない人も多いのかもしれません。私に偏愛の才能みたいなものがあるのではなくて、その種はみんなが持っていると思います。自分の好きなものの魅力にさらに気づけたら日々がすごく面白くなるので、お気に入りのモノを深堀りしてみることはいろんな人にやってみてほしいなぁ。同じものを好きでも、人それぞれの深堀り理由は全然違うと思うのでそれも気になりますね。
自粛期間中は、自分自身と向き合う時間が増えて、好きなものとあらためて向き合うことも多かったと思います。世の中では大変なこと、つらいことがたくさん起こっていますが、強制的に自分を見つめ直せる時間ができたことは、数少ない良かった点だと私は思っています。
できることを、ちゃんと続けること
SNSで好きなものを発信するのって、言ってしまえば不要不急なことですよね。だから、必要ないんじゃないかともすごく考えて……。もっと別の、役立つ情報を拡散したり、なにか特別なことをしたほうがいいのかなとも思いました。
でも、そういうなかでも、私の投稿が日々の楽しみになっているというメッセージをファンの人からいただいたんです。それで「あ、これでいいんだ」と思えて。自分が当たり前に、自信を持ってできることをちゃんと続けることは、間違っていないんだと思うことができました。
無理になにかをすることが向いていないのもわかっているので、状況が変わっても私ができることを着実に、120%の力で届けることしかないと思っています。ネガティブな意味ではなくて、ある種決心のような、自分はそうするべきだと。
発信した“好き”が誰かのきっかけになれたら
もちろん、多くの人に見てもらえているという意識や責任はあるので、言葉にも慎重にならないといけない。それでも私は好きなものを発信したいです。それは、見てほしいからとか、こう思われたいというよりは、単純に自分がいいと思っているものを知ってもらいたいんです。
自分のことを言葉で伝えるのは好きだし大事ですが、モノや作品を通して伝えられたら、そのモノを知ってもらうこともできて、それが誰かのなにかきっかけになれたら、とても嬉しい。“好き”を発信することで、いろんなことが伝わる気がします。