買い物は自分の意思を反映するチャンス
自分のなかでモノを選ぶ基準が増えると、日常の密度がすごく上がるというか……家の中が気持ちいいと思えるモノで満たされていくので、暮らしそのものが心地よくなると思います。Little Life Labの活動は、日々のなかで逃してきてしまった“自分の意思を反映できるチャンス”を、一つひとつ回収していくことなのかもしれません。
私自身の選び方でいうと、成り立ちがわかるモノが好きです。どんな人がなにを考えて生み出したモノなのか知られると、嬉しいですよね。見た目でいうと賑やかすぎず、部屋に置いていて景観を乱さないっていうのがポイントです。あとは、洗剤も化粧品も、服も、自分の身体に入ってきたり触れたりするものだから、あんまり身体に悪くないほうがいいなと素朴に思います。これまでいろんな生産地を視察して、なにを作るにも大勢の人が関わっていることを実感しているので、労働環境も想像しますね。
そういうことをいっぱい考えたときに、やっぱり重視するのは透明性があるかどうかですね。生産背景で知りたいことがあったときに、情報を得られると助かります。気になるプロダクトがあったら「ちょっとお話を聞かせてください」と販売元に連絡をして、質問をさせてもらったりもします。それでめちゃめちゃ仲良くなることもあります(笑)。
大それた正義ではなく、暮らしの話
あらゆる製品は、地球上のなにかしらのものを使って、誰かの手が加わってできているということをいろんな場面で目の当たりにしてきました。だからこそ、知らないうちに自分が環境や労働の問題に加担する可能性があると、いつもどこかで感じています。意識してもしなくても、絶対にどこかとつながっているなら、完璧には無理でも、できるだけ成り立ちのわかるモノで、応援したい人からものを買いたいなと思うんです。
エシカルとかサステナブルというと、「環境を守るために」とか、「未来のために」という文脈で語られることが多いのですが、私はなんていうか……あんまり正義感ではやっていないんですよね。「正しいことをやろう」みたいな感じに聞こえちゃうけど、そういう目標じゃなくて、生活のなかでする一つひとつの判断の話っていうか。
だから、活動のなかでなにかを伝えるときも、直接的にエシカルについて語るのではなく、あくまでも暮らしの話に終始することがほとんどです。言葉の表現も自分視点になることが多い気がしますね。
世界を面白いと思える眼差しに触れたい
私の活動へのモチベーションは、日々使うモノの背景がブラックボックスすぎて気持ち悪いという感覚と、そこを知っていくことで出会える人や知識が面白いという感覚、どちらも同じくらいあると思います。
以前、アーティストの鈴木康広さんにインタビューさせていただいたとき、この人から見ている世界はめちゃくちゃ面白いだろうなと感じたんです。面白いものがあるかどうかじゃなくて、面白いと思える目を持っていると日々が楽しくなる。だから、そういう眼差しをたくさん得たいっていうのがすごくあります。
なにかを選んだり買ったりする行為って、そのチャンスでもあるんですよね。モノの先に、実はすっごくいろんなことが広がっている。それを知ることで解像度が上がり、どんどん目が開かれていく感覚になります。せっかく買うなら、せっかく着るなら、せっかく食べるなら、それをできるかぎり味わいたい。そういう意味で、私はけっこう貪欲なのかもしれません。